伝統の文化を守りつつ、現代の暮らしに寄り添う香りを提案

読み物

薫物屋香楽
片山 斉さん 畑井田尚美さん

和の香りの素晴らしさをひとりでも多くの方に楽しんでほしい

鳥越神社のほど近くにある「薫物屋香楽(たきものやからく)」は、お香の製造・販売等を行っている会社です。外観は普通のビルのようですが、エレベーターに乗った瞬間、そこはかとなく漂ういい香り。2階にある店舗へ入ると、壁一面に整然と並ぶ何十種類ものお香が出迎えてくれます。

数十種類ものお香が美しく並べられています

「日本でお香が用いられるようになったのは、今から約1500年前、仏教が伝来したころと考えられていて、仏教儀礼の際に仏を供養するものとして伝わったとされています」と教えてくれたのは、営業部の畑井田尚美さんです。当初は、沈香(じんこう)や白檀(びゃくだん)といった香原料を直接火で燃やして薫じる、いわゆる「焼香」として使用されていたとのこと。奈良時代に入ると、中国からやってきた遣唐使や渡来僧などを通じて、香料や調合技術が伝えられ、日本でもお香がつくられるようになりました。時代は移り、平安時代になると、公家や貴族たちがお香を用いるようになります。彼らは、自ら煉香(ねりこう)をつくって着物や文に香りを焚きしめるなど、日々の生活のなかでお香を愛用しました。そして、鎌倉時代になるとお香は武家の教養として用いられるようになり、さらに室町時代には「香道」という芸道も生まれました。

「このように、お香というのは日本でも永きにわたり親しまれてきた伝統文化です。にもかかわらず、それが何から、どのようにつくられているのかをご存知ない方がほとんどなんですよね。なので、この和の香りの素晴らしさをひとりでも多くの方に知っていただき、楽しんでいただけたら、というのが我々の願いです」と、取締役の片山斉さんは語ります。

取締役の片山斉さんと営業部の畑井田尚美さん

仏を供養するものから、より身近な存在へ

さて、この記事をご覧になっている方のなかで、お香が何からできているのかをご存知の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか? 本来、お香の原料として使われるのは、生薬にも用いられる天然の草根木皮が主体です。前述した沈香や白檀のほか、丁子(ちょうじ)や桂皮(けいひ)、大茴香(だいういきょう)など、その数は数十種類に及びます。

香原料のなかでも大変貴重で高価な沈香

初めて目にする名前の原料もたくさんあります

「香原料の多くは植物なので、燃やすと煙が立ち上ります。仏教でお香を焚くのは、その煙に思いや祈りをのせて天に届ける、という意味合いが込められているんです」(畑井田さん)

やがて、お香をより長い時間、燃やし続けるために考え出されたのが、私たちにとってもなじみ深いお線香です。お線香の基材として用いられるのは、タブノキの葉や樹皮を粉末にした「タブ粉」というもの。粘着性のあるタブ粉がつなぎの役割をして、線上に固めることができるのです。

薫物屋香楽1階のエントランスにはタブノキや菩提樹が植えられています

「技術の進化によってお線香ができたことで、当初よりは日常生活に密着してお香が使われるようになりましたが、原料自体が高価なので、お香を使えるのは特権階級の人に限られていました。庶民にお香が広まっていったのは、江戸時代になってからですね。寺請制度といって、町民も檀家として各寺院に入らなければならなくなったことで、お線香を使う機会がふえ、庶民にもお香が身近なものとなっていきました」(畑井田さん)

長きにわたり、仏を供養するときに欠かせないものとして用いられてきたお香ですが、時代を経るにつれて用途が広がり、形状も変化してきました。たとえば、小さな球状をした煉香や、型抜きをした印香。これらは、直接火をつけるのではなく、「空薫(そらだき)」といって間接的に熱を加えることで、香りを薫じて楽しみます。また、一切熱を加えることなく、常温で用いるお香もあります。それが、匂い袋や防虫香、塗香(ずこう)などです。匂い袋は、バッグや財布などに入れて香りを楽しんだり、名刺や手紙にほのかに香りを移したり。防虫香は、クローゼットや衣装ケースに入れておけば、衣類を虫から守ってくれます。また、塗香とは、香原料を微細粉末(パウダー状)に加工したもので、古くから寺院を参拝するときに身を清めるために用いられてきました。ごく少量を手のひらにとり、両手をこすり合わせるだけで香りが楽しめるので、現代では日常でちょっと気分転換したいときなどにも用いられています。

同じ香原料でも用途によって加工のしかたを変えています

現代のライフスタイルにマッチするオリジナル製品の数々

お香の歴史と文化を大切にしつつ、その素晴らしさをより多くの人に楽しんでほしい──そんな想いから、薫物屋香楽ではさまざまなオリジナル製品を生み出してきました。なかでもユニークなのが、「手づくり香キット」シリーズ。香原料や香道具、手順書き、お香のしおりなど、お香づくりに必要な部材のすべてをセットにしたもので、2006年には「日本ホビー大賞経済産業省製造産業局長賞」を受賞しています。

好みの香りに調合してお線香がつくれる「手づくり香キット」

「日本ホビー大賞経済産業省製造産業局長賞」を受賞したときの盾も飾られています

また、「香りを通して心を整える時間を提案する」というコンセプトのもと誕生したのが、オリジナルブランド「1ROI(イロアイ)」です。和の香料をベースに、西洋の香料やスパイスなどを調合した新しいレシピによって、現代のライフスタイルでも気軽に、心地よく楽しめるようなプロダクトを発信しています。

「1ROIシリーズは、時間帯や天候などをテーマにした香りづくりを基本にしていて、和をベースにしながら、ボーダレス、ジェンダーレスな方向性で調香しています。手前味噌ですが、伝統的なものをずっとやってきた我々だからこそできる香りだと自負しています」(片山さん)

時間軸(左)と天候軸(右)で調香したインセンスに、手入れの楽な缶香炉をセットにした「KOHBAKO」

朝はちょっとスパイシーな香りで、元気に1日をスタート。夜は癒し系の香りで、心地よい眠りへと誘って。晴れた日には、森の中にいるようなさわやかな香り。雨の日には落ち着く香りで、まったりとした時間を。そんな日々の暮らしに寄り添うような香りが身近にあるだけで、何気ない日常も心豊かに過ごせそうです。

月の満ち欠けをテーマに調香した3種類の塗香。バッグに入れておけば、外出先でも手軽に香りでリフレッシュできます

多彩なアプローチでお香の魅力を発信

このほか、薫物屋香楽では、OEMで香製品やカンパニーギフト等の企画・制作も行っています。受注先は、アパレル関係、化粧品メーカー、通販専門会社など多岐にわたります。

「近年は、部屋で焚くインセンスの需要が非常にふえていて、さまざまな企業や法人から自社ブランドのインセンスを出したい、という問い合わせを毎日のようにいただいています。また、こちらではお香づくりの体験教室も開催しているのですが、参加者の方に『どんな目的でお香を使うんですか?』と尋ねると、みなさん異口同音に『癒されたい』と答えるんです。とくに、コロナを機に癒しを求めるようになった方が本当に多いんだな、というのを実感しています」(片山さん)

嗅覚は五感のなかで唯一、脳にダイレクトに伝わるといわれます。天然由来のやさしい香りに安らぎを感じるのは、まさに人間の本能なのでしょう。

こうしたお香の製造・販売に加え、薫物屋香楽では、お香に精通した人材の育成、派遣・斡旋もしています。

「うちでは“香司(こうし)”と呼んでいますが、いわゆるインストラクターのような人材で、今、北海道から沖縄まで全国に約700人の卒業生がいます。各地でお香について教えたり、オリジナルの製品をつくって販売したりと、それぞれに活躍しています。こうした活動も通じて、より多くの方々に和の香りの素晴らしさを知っていただけたらうれしいです」(畑井田さん)

お香に対してちょっぴり近づきがたい、というイメージを持っている方にこそ、ぜひ訪れていただきたい薫物屋香楽。季節ごとにさまざまなテーマに沿って、自分だけの和の香りがつくれる体験教室もとても魅力的なので、気になる方はホームページをチェックしてみてくださいね。

薫物屋香楽
東京都台東区鳥越2-12-11-2F
TEL:03-3864-4548
URL: https://www.m-karaku.com/

Photo by Hanae Miura
Text by Miki Matsui

ピックアップ記事