逆風を追い風に変える知恵と技術と行動力 アップデートを続けるビニール傘のパイオニア

ホワイトローズ
代表取締役社長 須藤宰さん
参勤交代の武士に愛用された雨合羽
台東区・寿町にお店を構えるホワイトローズは世界で初めてビニール傘を開発したパイオニアとして知られています。透明度が高く視界を遮らず、安全性と快適性、さらには耐久性までも兼ね備えたビニール傘。その仕様、仕上がり、佇まいは「美しい」の一言につきます。
ビニール傘をこんなにも特別な存在に育て上げることができたのはなぜなのか。それを知るために、時計の針を江戸時代に戻し、同社の歩みを辿ってみることにしましょう。その道のりは外的環境の変化を乗り越え、挑戦と革新の連続でした。
同社の創業は1721年(享保6年)。徳川吉宗の時代に武田長五郎商店として産声をあげました。10代目の須藤宰さんは言います。
「初代は武田勝頼の血筋だと聞きました。戦に敗れ、甲斐の山奥に身を潜めていましたが、その後、江戸に出て商人になり、刻みたばこの卸をしていたようです。刻みたばこは乾燥するんですよね。そこで油紙に包んで茶箱に入れて卸していましたが、二代目がこの油紙を羽織にしたらどうかと考案し、和紙に油を塗って羽織にして、いまでいうトラベルレインコートのような合羽として販売したんです」
便利で機能的な雨合羽は参勤交代の武士たちにこぞって採用されました。和傘はあっても使えるのは位の高い武士のみ。編笠は雨がふってはなんの役にも立ちません。各藩が雨合羽導入を決め、武田長五郎商店は「合羽屋」として成長。和傘も同時に販売し雨具商としての地位を確立しました。
明治時代に入ると布の傘が登場し、市場は激変します。この変化を同社はどう乗り越えたのでしょう。6代目、7代目は洋傘を作り始めて商いを維持し、1950年には須藤さんのお父様である9代目が革命的な商品を創案しました。
「父は戦後シベリアに4年抑留されていました。日本にようやく戻ってきて、また商売を再開しようとしましたが帰国が他の人より4年も遅れていますから、仕入れルートは全部押さえられちゃった。商品を売ろうにも手に入らないわけです。そのとき目をつけたのが進駐軍がもちこんだビニール素材です。当時の傘は綿を素材に作っていたので雨が降るとしみるし、色落ちしていた。だったらビニールをかぶさたらいいと考え、傘をまもるためにビニール製の傘カバーを作ったんです。これが大ヒットしました」
完全防水素材のビニールフィルムを貼った傘を開発
市場の激変は続きます。国内の繊維メーカーが防水性の高いナイロン生地を開発に成功し、傘のあり方を変えました。ナイロンはアクリル樹脂コーティング加工を施してあるので完全防水ではないものの、綿よりも防水性はずっと上です。ナイロンの傘を作ればもうビニールカバーをかける必要はありません。このままでは経営が傾くーー。危機感を抱いた9代目は1952年から完全防水素材のビニールフィルムを傘骨に直接貼った傘の開発に着手しました。
完成したのは1958年。5年の歳月をかけ、数種類もの特許を獲得して現在のビニール傘の原型が生まれました。ところが、革新的なこの傘は業界から猛反発を受けます。ビニールの傘を売るなんてとんでもない、ありえない、許されない。傘の専門店や百貨店の傘売場など既存の流通ルートからは締め出されてしまいます。しかし9代目は諦めません。「ビニール傘は完全に雨が漏らない」。いつかは価値が認められるはずだと新たな販路開拓を試みたのです。
「上野から銀座までつながる中央通り沿いにはたくさんの雑貨屋や洋服屋があったんですね。そうしたお店にゲリラ的に営業をかけて委託販売してもらいました。少しずつ開拓をしていくうちに話題性があがり、東京五輪の年(1964年)にはアメリカの傘のバイヤーが来日してうちの傘を気に入り、『ぜひニューヨークで売りましょう』というオファーをもらいました」
晴れて契約を結び、アメリカに輸出されたビニール傘は順調な売れ行きを示します。ところが、4〜5年たつと注文がみるみる減っていきました。なぜか。あまりにも売れるため、アメリカの会社は台湾でビニール傘を作り始めていました。
「いま思えば来日してはうちの工場をよく見学に来ていました。熱心な会社だなと思っていたら自分たちで作るためだった(笑)。資本主義の世界ですから仕方がないですが、うちとしたらはしごを外されちゃった格好です。こうなったら国内で作って売っていくしかないと腹をくくりました」
1960年後半に入り、繊維メーカーが透明の素材を開発すると9代目は「透明の傘ならどんな年齢やファッションの人にも合う」と透明の傘作りに挑みます。傘業界は「骨が見える傘なんて誰もささない」と客観視していましたが、社運をかけて完成した同社の透明のビニール傘は思わぬところから人気に火がつきました。
「TV番組で『銀座では中が透ける傘が流行している』と紹介されたのがきっかけです。いまでいうバズった状態で(笑)、修学旅行の女子学生に大好評でした。ちょうどそのころ、日本人デザイナーのブランドが台頭して直営店店を展開していました。売り場には洋服とコーディネートして靴やアクセサリーなども並び始め、傘についてもザイナーの感性に沿ったものが求められようになりました」
軟質のビニールフィルムを加工する技術を活かす
デザイナーズブランドのファッションアイテムとして導入され、人気を集めた透明のビニール傘。しかし、その後、過去最大の危機を迎えます。アメリカの会社が台湾で作ったビニール傘の工場が中国にも増殖し、かつてない規模で安い傘が大量生産されるようになったのです。10代目の須藤さんがスポーツメーカー勤務を経て、家業に戻ってきたのはちょうどその頃でした。
「数年の間に50社あった同業メーカーがみなつぶれてしまいました。うちも売上の8割はビニール傘でしたから大変な経営危機でしたが、軟質のビニールフィルムを加工する技術はあるから、異業種にどんどんセールスをかけました。シャワーカーテンや農業用ビニールハウスを作ったり、プロカメラマンが使うアンブレラも作りました。アパレル向けにレインコートを手掛けたこともあります。いま思えば会社をたたむという選択肢もあったと思いますが、ビニール傘を作る会社がすべてなくなってしまうことだけは避けたい、工場を生かしたいという一心でしたね」
持ち前の技術、ノウハウ、知見を駆使して作れるモノなら何でも作る。がむしゃらに活路を切り拓いた須藤さん。気がつけば、透明ビニール傘のオーダーメイド依頼が少しずつ増えていました。政治家、寺の住職、山登りが趣味の女性。立場や属性は違いますが、共通するのは透明で丈夫な傘のニーズです。政治家は選挙演説のときに使える傘を求め、住職は雨の日にお墓で読経するとき檀家に傘で隠すことなく着物を見てもらいたいと考えていました。山登りが趣味の女性は山の背景が映る傘を探していました。
2010年には宮内庁から傘の注文がありました。上皇后美智子さまが秋の園遊会に使いたいとの依頼です。そう、同社の革は宮内庁御用達なのです。
「そうした過去のオーダーを整理するとビニール傘の需要がはっきりと見えてきました。ちょうどインターネットが普及しECの可能性が膨らんできた時代だったので、多少高額になっても上質な透明のビニール傘をほしいという人はもっといるはずだ。そう思って2012年にやけのやんぱちで(笑)1本8000円の透明ビニール傘をECで販売することにしました」
透明の日傘も作りたい
ECで販売をスタートするからこだわりたい。長く使ってもらえるビニール傘にするために須藤さんは濡れてもベトつきにくく、70℃~-20℃まで無変化のビニールを採用し、親骨・受骨にはグラスファイバー製を起用。傘の内側にたまった風を外に逃がす特許の逆支弁を設けているので強風にあおられることもありません。風が強い雨の日でも安心です。
傘の手元には天然の皮付き桜材を使用し専用ケースもつけました。ビニールの張替えだけでなく骨の取り換えにも対応した修理可能な透明ビニール傘は見事にECデビューを飾り、高い人気を得ます。顧客の要望を受けて折りたたみタイプも開発し、一番人気の「かてーる16桜」をはじめ、傘とステッキが一体になった「仕込み傘 信のすけ」などバリエーションも増えました。

一見、ステッキ。その実は内側に傘が仕込んであります。オーダーメードがきっかけになり商品化しました。
クラウドファンディングにも熱心に取り組んでいます。過去5年で10回ほど実施し、つい最近は新素材SPACECOOL®を使った日傘のクラファンが成功しました。世界最高レベルの放射冷却性能を持った日傘です。
「いま作りたいと考えているのは透明の日傘。360度回りが見える日傘です。暑い日でも前が見えたら使いやすいいじゃないですか(笑)」
そう語る須藤さんはECだけではなくリアルでの接点の場も多数設けています。今年も初夏には地方の百貨店を回る実演販売に出られるとか。
「骨が10本で58cmの折りたたみビニール傘を作ったんです。軽さと壊れにくさのギリギリのバランスがこのサイズ。その傘の感想をお客様に直に聞きたいんですよ。ネットじゃなかなかわかりませんから」
ジャンプ傘、住職用の大型版、アウトドア用の軽量タイプなどバリエーションは着実に増えています。
昨年から参加してモノマチもお客様の声にダイレクトに触れられる貴重な機会。今年は小さな傘作りのワークショップを用意しているそうです。

小さくてもしっかりとした作りなのはさすがホワイトローズ。ワークショップでの体験が楽しみです。
たとえ道が閉ざされても、眼の前が視界不良になっても、諦めることなく粘って粘って活路を模索し、新たな価値を生み出していったホワイトローズ。挑戦に裏打ちされたビニール傘の世界は視界良好です。
ホワイトローズ
東京都台東区台東区寿2-4-8
TEL : 03-3841-9601
URL : https://whiterose.jp/
Photo by Hanae Miura
Text by FUKIKO MITAMURA