モノづくりの名脇役が集う町 ー寿町 PART1ー台東モノマチエリア探訪
台東モノマチエリアは10の町で構成されています。一つひとつの町に個性があり、特徴があり、趣がある。このシリーズでは一つの町をクローズアップして、その歴史や魅力に迫ります。
さて、今回取り上げるのは「寿町」。おめでたい名前を冠したこのエリアにはどのような歴史が秘められているのでしょう。「寿町」の来し方行く末を探ってみました。
語り部は世界に名だたるパイプメーカー
寿町の歴史を知りたい。そんな願いに快く応じてくれたのが寿4丁目に本社を構える1911年創業のパイプメーカー、柘製作所の現取締役会長の柘恭三郎さんでした。
「寿町といえば職人の町でね」
パイプコレクターたちの垂涎の的の一品が美しくディスプレイされた応接室で、柘会長はこう話を切り出します。
「戦前から台東区の北部には木の市が立っていて、そこから運ばれてきた木材などを寿町など寿町など南部で職人が加工し、横山町や馬喰町に運び、そこから全国発送していたってわけですよ。当時からロジスティクスのルートが確立したいたんだね。欄干を彫る職人もいたし、万年筆を作る職人もたくさんいました。パイプの職人は、ろくろを横に回すという意味では万年筆の職人と同じ技術。こけしやステッキ、椅子の脚、傘の手元なんかもそうだね。清洲橋通り沿いには機械屋や問屋も多かったから、工具や鉄の材料もすぐに手に入ったし、靴の型を作る木型職人も大勢いました。職人同士の交流も盛んだったね。よく物々交換していたなあ」
往来を行き来する職人たち、町のあちらこちらから聞こえてくる賑やかなモノづくりの音。柘会長の艶のある声を聞いていると、当時の寿町の光景が浮かびます。
今に生きる「職方商人」の教え
戦後から朝鮮戦争を経て、昭和40年代に至る前、職人の町「寿町」は輸出で潤っていました。柘製作所も例外ではありません。
「昭和30年代の終わり頃までは本当に儲かった。あの頃は、籐製のベビーカーにパイプをたくさん詰めて問屋に持っていくと、それで土地が買えちゃったから(笑)」(現社長の三井弘司さん)
しかし、好景気をもたらした輸出産業の伸びが止まると、職人の町は斜陽化を余儀なくされましたが、そこからは柘製作所の本領発揮です。国内のタバコ市場が大幅に縮小するという外的環境の激変にさらされながらも、柘製作所は売上を伸ばし、輸出も増え、オリジナルのパイプはヨーロッパで多くのファンを獲得していきます。
同社の好調のキーワードは「職方商人」という言葉にありました。
「うちの親父が遺した言葉でね職方(職人)も商人として付加価値をつけろという教えなんですよ」(現取締役会長の柘さん)
オリジナルの「ツゲ・イチリン」はフェザーウェイト(鳥の羽根)と呼ばれる最軽量のシリーズ。日本人の美意識や繊細な感性、高度な技術を生かした美しい外観と、煙がスムーズに通る適切なサイズの穴をしっかりと確保する道具としての機能性。その2つの要素をしっかりと備えた柘製作所のハンドメイドのパイプは「職方商人」を見事に具現化しています。
「若者の煙草離れなんて言われるけれど、パイプのファンは増えているんですよ。うちも軽量で丈夫なアルミ合金を用いた『ツゲ・メタルシリーズ』で若い層の掘り起こしを図っています」(現社長の三井弘司さん)
モノづくりの卓越した技があっても、待ちの姿勢では時代の波に巻き込まれてしまうーー。高付加価値化を図り、攻めの姿勢で活路を切り開く重要性を柘製作所は教えてくれます。それは明日の寿町、いえ、モノマチエリア全体の未来を示唆する指針でもあるのです。
この寿町で果敢に未来へと進んでいるモノづくりの会社はほかにもたくさんあります。PART2ではその一部を紹介しましょう。
柘製作所
台東区寿4-3-6
https://tsugepipe.co.jp/