神社が見守るノスタルジックなモノづくりの町 ー東上野町PART1ー台東モノマチエリア探訪

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台東モノマチエリアは10の町で構成されています。一つひとつの町に個性があり、特徴があり、趣がある。このシリーズでは一つの町をクローズアップして、その歴史や魅力に迫ります。

さて、今回取り上げるのは「東上野」。昭和通りと浅草通り、春日通り、清洲橋通りにはさまれた一帯です。上野駅にも御徒町駅にもほど近い交通至便のこの地域にはかつて柳川藩の藩邸があり、多くの職人が住まいを構え、町を支えていました。PART1では歴史を探り、このエリアを見守る神社にフォーカスします。

柳川藩主立花家の上屋敷があった町

東上野は意外なほど(?)モノづくり系の魅力的な会社や店が多く、多面性を持った町。一筋縄ではいかない町。まずはその歴史から紐解いてみましょう。

東上野1丁目のあたりは昔は「西町南部」と呼ばれ、近くには柳川藩主立花家の上屋敷もあり、この一帯の中心だったそうです。

将軍からの拝領地に建てられた上屋敷があったのは東上野1〜11番と20〜28番のあたり。戦後は商売を営む人が増え、町は変わっていきます。

西町は小売のお店が多かったそうですが、稲荷町周辺には仏壇の錺職人が集まり、派生して神輿を作る職人も生まれてきました。手先の器用な職人が多かったため、やがて貴金属の職人も増えていきます。御徒町が宝飾の町になったのも、もとを辿れば東上野にそうした職人がたくさんいたからなのです。

西町太郎稲荷と下谷神社が見守り続ける

時計の針を宝飾品が飛ぶように売れたバブル経済の時代に進めましょう。1980年代後半、東上野には貴金属の店が急増します。

いまではその数はかなり減ってしまいましたが、イケイケの時代から落ち着きを取り戻した現在に至るまで、変わることなく東上野の町を見守り続けているのが、西町太郎稲荷と下谷神社です。

西町太郎稲荷神社は、幼名は冠者太郎、源頼朝の息子として生まれ、長じて立花氏の先祖となった左近将監能直の母堂みほ姫の守本尊として建立されました。

もう一つの下谷神社は東上野の顔と言ってもいい神社。都内でもっとも歴史あるお稲荷様です。730年に商売繁盛と家内安全の神である大年神と、諸国を平定した日本武尊の二神を上野の山にお祀りしたのが始まりとされています。

関東大震災が起きた後、この下谷神社は区画整理のために現在の場所に移りました。移転を木に竣工した御社殿に飾られたのが、横山大観画伯による天井絵「竜」です。

横山画伯は絵の代金を受け取らず、かわりに酒を持ってこさせ皆にふるまったとか。豪快なエピソードを知った後、天井絵を鑑賞すると竜が大酒飲みに見えてくるから不思議ですよね。

PART2では、「モノづくり」の町の顔と、ベンチャー気質にあふれた新しい顔、ノスタルジックな顔がとけあった東上野の「いま」を紹介しましょう。

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