江戸っ子の美意識が生んだ粋な伝統工芸品
茂上工芸 茂上 豊さん
暮らしの道具としての機能性と、美術工芸的な美しさを兼ね備えた江戸指物は、国の伝統的工芸品にも指定されています。この江戸指物を3代にわたりつくり続けている、茂上工芸の茂上豊さんにお話を伺いました。
木地の持ち味を生かしたシンプルで粋な仕上がり
「指物(さしもの)」とは、外側に組み手や継ぎ手を見せず、金釘も使わずに組み立てられた日本伝統の木工品のことです。指物という名の由来は、木と木を指し合わせるから、あるいは、物差しを駆使して木の板を精巧に組み合わせていくからともいわれています。
指物の歴史は平安時代の宮廷文化まで遡り、「京指物」と「江戸指物」に大きく分けられます。おもに朝廷用や茶道用としてつくられた京指物は、箔や螺鈿などを使った雅で華やかな装飾が施されているのが特徴。これに対し、江戸指物は武家や町人、歌舞伎役者が使う生活調度品が中心で、木目や色合いなど木地本来の持ち味を生かした、シンプルで粋な仕上がりを身上としています。そんな江戸指物をつくる指物師として、代々江戸前の技を守り継いでいるのが大正元年創業の茂上工芸です。
「江戸指物は分業ではなく、一人の職人が手作業で最初から最後まで責任をもって完成させます。薄い板や細い棒を組み合わせた造りは、一見、華奢に見えますが、実際には100年の使用にも耐え得る堅牢さをもっています」と3代目の茂上豊さんは語ります。
堅牢さと美しさを生み出す江戸指物特有の職人技
江戸指物を見たとき、おそらく多くの人が疑問に思うのが、「釘を1本も使っていないのに、なぜこんなにしっかりとした造りをしているの?」ということではないでしょうか。その秘密は「仕口(しくち)」にあります。
仕口とは、板材や棒材をつなぎ合わせるために、精緻な細工を施す技法のこと。仕口は、出っ張りのある「ほぞ」と、それをはめ込む「ほぞ穴」で構成されていて、これらを組み合わせることで板材や棒材を接合させます。仕口には、留型隠し蟻組ほぞ、留型隠し三枚継ぎ、剣留ほぞ継ぎ、ろうそくほぞ、三方留めほぞなどいくつもの種類があり、製品に合わせて組み合わせを考え、細工を施します。
そして、江戸指物でもう一つ特徴的なのが、「拭漆(ふきうるし)仕上げ」という独特の塗装を施すこと。顔料で着色していない生漆を木地に塗っては布で拭き取る作業を何度も繰り返すことにより、美しい木目と艶を生み出します。
「漆というのはほかの塗料と違って、湿気がないと乾きません。なぜなら、樹液に含まれる酵素が空気中の水分から酸素を取り込んで酸化反応をおこすことにより、液体から固体になる、つまり乾燥するという特性があるからです。拭漆仕上げでは、完全に乾いてからでないと次の塗りができないため、1日1回が限度。それを10回ほど繰り返します」
江戸指物で金物を最小限しか用いないのも、そうして生み出される木目の美しい表情をなによりも大切にしているからなのです。
指物の仕事に息づく江戸っ子の美意識
江戸指物では国産の無垢材を使用しますが、木を伐採してから最低でも5、6年、長いときには10年以上乾燥させてから板材にします。なぜなら、木に含まれる水分を十分に抜かないと、木の伸縮により歪みや反りなどが生じる原因になるからです。
しかし、いくら十分に乾燥させた木であっても、木は常に呼吸しているため、湿度の変化などによって微妙に伸縮します。そういう特性をもつ木に金釘を打ってしまうと、釘は伸縮性がないため、そこから割れる可能性があります。一方、仕口で組み立てた場合は木と木で接合しているため、お互いが同じように伸縮し、割れる可能性は大幅に低くなるというわけです。
「一番神経を使うのは、ほぞをつくるときですね。たとえば、留型隠し蟻組ほぞでは、台形のほぞがいくつも並んでいるのですが、すべて同じ大きさにするのではなく、端の方は少し小さくする。そうすることで、接着力を強めているのです。そんなふうに、見えないところほど手の込んだ仕事を施すのが江戸指物の真髄なのです。
贅沢が禁じられていた時代、昔の人は、羽織の表地は綿でも裏地には絹を使うという、そんな粋な楽しみ方をしていました。江戸指物も、そんな江戸っ子の心意気と美意識が息づいた文化といえるでしょう」
江戸指物に使用する木材は、桑や黄檗(きはだ)、欅、桐、栗など多くの種類があり、樹種ごとの持ち味や特徴を生かして製品をつくります。しかし、同じ種類の木であっても、育った環境や樹齢などにより状態は変わってきます。そのように一つひとつ個性の異なる木材に対して、非常に精巧な細工を施すわけですから、いかに高度な技術が求められるかがわかります。そんな指物師にとって不可欠の相棒ともいえるのが、膨大な数の道具たちです。
「おもに使うのは、鋸(のこぎり)と鑿(のみ)、鉋(かんな)です。使う場所や用途によってそれぞれいろいろな大きさや種類がありますが、鉋だけでも100種類くらいはあるでしょうか。さらに、少しでも使い勝手が良くなるように、鉋の土台部分は自分の手に合わせて一つひとつ加工しています」
まさに世界でたった一つしかない道具の数々が、茂上さんの精緻な仕事を支えているのです。
長く後世に伝えたい江戸指物の魅力
時代の流れとともに大きく変化してきた、人々の生活様式。そうしたなか、茂上さんが常に念頭においているのが、いかにして現代のニーズにマッチした江戸指物を提供できるかということです。
「たとえば、鏡台ひとつとっても、今は和室で正座してお化粧する人はほとんどいないですよね。また、昔の家は自然と空気が循環していましたが、今の家は気密性が高く、エアコンや床暖房がある環境でも不具合がないように工夫しないといけない。指物師にとっては、そのあたりが現代ならではの苦労といえます。
でも、元来、華奢でシンプルなデザインを得意とする江戸指物は、和室のみならず、洋室にも自然と溶け込むものもたくさんあります。その証拠に、海外にも愛好家が大勢いらっしゃいます。そしてなにより、長く後世につなげられる家具であることは、今注目されているSDGsにも通じるものがあります。そうした江戸指物の魅力をこれからも広く伝えていけたらと思っています」
茂上工芸では、江戸指物の技や工程を直に感じられる細工場見学や、実際に箸や小物入れなどが作れる体験教室も開催しているとのこと。ぜひ、江戸指物の奥深い世界を体感してみてはいかがでしょうか。
茂上工芸
東京都台東区蔵前4-37-10
TEL : 03-3851-6540
URL : http://sasimono.ciao.jp/
Photo by Hanae Miura
Text by Miki Matsui